Choose Life Projectが活動を再開されるそうです。
【お詫びと活動再開における今後の対応について】
Choose Life Projectは今年1月から休止しておりました。調査報告書の公表および支援者・出演協力者の皆さまとの意見交換を経て、10月から配信を再開することをご報告させて頂きます。詳細につきましてはHPよりご覧ください。https://t.co/rXJDx9N0qv
— Choose Life Project (@ChooselifePj) 2022年9月28日
https://twitter.com/ChooselifePj/status/1575066546061606912
それに対して、下記のように疑義を呈しました。
代表辞任を取り下げることの明確な理由もなく、ただ応援の声だけを理由に、誰も何も明確な責任を取らずに組織を残そうとされることに失望と強い疑念を感じます。
少なくとも佐治氏の退任は必須ではないでしょうか。
人は誰でもやり直せるので、個々の方がなんらか再出発をされるのであれば▼ https://t.co/tk4rqLn8qU
— 小林えみ:Emi Kobayashi,editor #SaveUkraine (@koba_editor) 2022年9月28日
https://twitter.com/koba_editor/status/1575166319497838598
報告書がでたときには、そのことをバズフィードの記事で知り(CLPからのご連絡はありません)、ツイートをしました。
CLPの報告書が出ていたことを、遅まきながら知りました。報告書自体まで読めていませんが、大枠は把握しました。https://t.co/qCLUohcxts @togemaru_k
— 小林えみ:Emi Kobayashi,editor #SaveUkraine (@koba_editor) 2022年8月1日
https://twitter.com/koba_editor/status/1554236501776482304
ツイートの時点では報告書をきちんと読めていませんでしたが、後日、端から端まで読みました。1月6日の「「Choose Life Projectのあり方に対する抗議」へのご説明」の時点で「私、佐治洋はこの件についての説明責任を果たした後、速やかにCLP共同代表を辞任いたします。」と明言されており、それ以上、外野がとやかく言うことではないと考えたため、それ以上の感想は表明していません。しかし、その前提は覆されました。
今回の問題について「意見交換会レポート(PDF)」内でご本人たちから「稚拙でした」という言葉がでています。私も零細の経営者ではあるので、決定権があるということは自由であるようでいて、何してても難しいし、先の見えなさ、うまくいかないことなど、常に苦しい気持ち、視野が狭くなること、それが端からみればとても簡単なことであってもうまくできず結果的に「稚拙」となること、とても理解できます。
ですので、今回の報告書があり、その後、工藤氏か他の方を中心にCLPが再開する、お二人が別の形で再出発をされる、ということであれば応援できたと思います。
しかし、佐治氏は明確な理由説明もなく「私、佐治洋はこの件についての説明責任を果たした後、速やかにCLP共同代表を辞任いたします。」を撤回されました。
本日(9月30日)に「活動再開のご報告と今後の対応について」という配信をされるとのことなので、そこでご説明されるつもりなのかもしれませんが、撤回の事実のみ先に出し、自身のチャンネル登録者数 6.36万人(9月30日確認時点)のコンテンツへ誘導する、その形にもすでにもやもやします。
私は「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と発言していた人がいたことを思い出しました。
上記の「総理大臣も国会議員もやめる」発言の問題点は、私見ですが2点あります。
①明言した言葉への無責任
②保持するものが権力であり、その問題の根源であること
①は、一般的な倫理、信用の問題です。②は、たとえば私財を手放すというような話(「◎◎が本当なら私のカメラはあなたにあげます」)であれば、個人の気持ち・約束の担保の問題でしかありません。しかし、総理大臣という立場であるからこその間違いを、その立場を保持したまま回復する、ということは考えにくい。だからこそ、その「関係していた」自体も問題だけれど、この発言もそれと関係しつつ、それとはまた別建てでの批判が起きたのだと理解しています。
「チューズライフプロジェクト」はサポーター、チャンネル登録者を多く抱えています。これらは設立のお三方、また当初、経緯を知らずに応援した多くの方の尽力によってつくられた資産、チカラ・マスコミもある種の権威であるならば(国などから比べれば微々たるものですが)権力といえます。こういうチカラを保持したままの活動再開というのは、上記の総理大臣の件と、程度の大きさこそ違え、構成は同じではないでしょうか。
また、彼らが自分を中心としながらのプロジェクトを手放さず、再発防止策としてる施策(1)アドバイザーの設置(2)株主の増員(3)行動指針の策定(4)サポーターとの定期的な意見交換会や勉強会の実施は、多少は建設的ではありますが、都合の良い「第三者」を配置して担保し、現状を守ろうとする姿勢は、「お友達政治」を彷彿とさせます。
アドバイザーや株主が、どの程度、効力のあるものでしょうか。仮に私が株主に入って同じ様に物言いをしたところで、経営権に関わるほどの大株主でなければあまり行使力はなく、またそこまで、ほんとうの第三者に株を大幅へ渡すことは経営権を渡すということに近く、おそらくそうではありません。サポーターは、そもそもの味方ですよね。役員の増員、ジェンダーバランスの考慮もあげられていますが、男性二人が中心的存在として代表権を持っていて、女性の役員が仮に倍の4人いたとしても、社員もそもそも二人で経営権と編集権が分離していない中で、決定権を彼らが握るということには変わりません。きつい言い方をあえてすると、外聞が悪くない程度の体面的体制はつくり、近しいちょっと外の意見は聞く、ということにしかならないと思います。
仮にアドバイザーの人が強く何かを言って彼らと意見が分かれた時、よく見る「私はこのアドバイザーを辞任します」で結局枷(らしきもの)が薄くはがれていく、これも良く見る構図です。真摯に向き合う根本的な改革は、現状において全く提示されていません。
彼らは今回一旦間違えました。そのこと自体は反省を通じて、再生が可能だと考えています。しかし、その反省の最中に結局、退任という責任の空手形を切り「この責任は、映像で皆さまに伝え続けることで果たしていきたいと考えております。」と人気のついた看板は手放さずいられる都合の良い形にすり替えています。
もしこの形のまま進行するのであれば、今後、彼らは「責任をとらない」社会問題に踏み込めない/あるいはその言葉に彼らは信用性を保持して報道することはできないでしょう(彼らが報道しても信用性が低い、対抗者からは「おまえがいうのか」を常に突きつけられる、またそれを左派リベラル全体のレッテル張りに利用される)。
何より、こうした「自分の仕事を果たすことで責任を果たす」というすり替えは、社会問題を扱う団体の、特に性被害に関して事件の隠蔽や向き合わなさで使われてきた常套句です。「今回は性被害のような差別や被害者のいる問題ではない」と言われるかもしれませんが、ある種の定型を許容することへの注意が必要だと考えます。
一番潔癖な形は「ジャーナリストから足を洗え」でしょう。私はそこまでの必要はないと思います。「やり直す」のであれば、一旦、手にしたチカラを手放し、そこから新しく構築していくことはできるはずです。彼らが地道に「この責任は、映像で皆さまに伝え続けることで果たして」行けるのであれば、今のCLP以上の、サポーターが2千人、登録者が10万人というようなプラットホームは改めて作れるはずです。
左派・リベラルはもう少し団結しなければ、また多少のことには目をつぶらなければ、右派・保守のまとまりある声には対抗しにくい、それは事実でしょう。しかし、倫理的基盤を手放しては、それはもはや左派・リベラルではなく「自由で公正な社会のために」という看板を掲げての活動はされるべきではないと考えます。
これは、まず代表の佐治氏・工藤氏の問題ではありますが、今回のことが、上記のような責任不在の政権、社会運動が抱えてきた「あり方」の問題とすると、私は彼らが同じ形のままの再出発を望むサポーター、またアドバイザーをお引受けになられる内田樹氏、田川利一氏、田中東子氏、馬奈木厳太郎氏、三浦まり氏から、今後の「お友達政治」や「前言撤回」の批判の力を奪うものではないかと危惧します。
私は、CLPと番組に関して知り合うまでまったく接点はなく、その番組に関するやり取り以外は関わったことがありません。そういう意味ではまったくの部外者ですので、彼らがこのまま現状を維持されるのであれば、それはそれで見守るだけです。
であれば、こうして意見を書くこと自体がただの徒労のようにも思うのですが、「前言撤回をする」、それを支持するということが、今までの左派・リベラルの活動の根幹にも関わることかと思い、「私には受け入れがたい」ことを表明いたします。